おいたち

1953年、4人兄弟の次女として大阪市で産まれる。当時の家業は材木商で、折しもの高度成長期の熱気でまちが変わって行く様子をドキドキして見つめていたのが、後年のまちづくりに対する想いに繋がっている。


少女時代

大阪市立大江小学校、大阪市立天王寺中学校時代は、兄と一緒に浜寺水連学校(当時)に通い、学校では水泳部に属して毎日を水の中で過ごした。追手門学院高等学校(大手前)では水泳部が無かったため、好きだった英語の勉強にのめり込む。帝塚山学院短期大学時代は、ワンダーフォーゲル部に属し、ほぼ一年中各地の山々を訪れた。当時の山行きは重いテントや飯盒を背負い1週間にも及ぶもので、男性に交じって自分だけが頼りとなる厳しいものだったが、人一倍の我慢強い性格も幸いし、強い忍耐力を培う経験となった。


OL時代

1974年4月 ~1979年10月、株式会社電通に奉職。人事部配属となり、採用担当や新入社員の教育係を任される。この時、対話を通じて人材の適正を判断し、個人の能力をいかに引き出して適所に配属して、組織全体の総合力を高めていくかという経験を積んだ。


酪農家へ嫁ぐ

縁あって、それまで歩んできた人生とは全く接点のない新しい世界へ。1980年1月、アルプスの少女ハイジに憧れて奈良県新庄町(当時)の酪農家に嫁ぐ。しかしそれまで抱いていた広い牧場での放牧イメージと違って、実際は牛舎に繋がれた牛を見て少し戸惑うが、乳牛との対峙を通した生への慈しみや、新鮮な牛乳や野菜をいただく豊かな生活を経験したことで、本当の人生の幸せに気づいた。


アメリカ留学

英語力に磨きをかけるため、姪と一緒にサンフランシスコオークランドにあるミルズカレッジ(Mills Cllege ECIW)に語学留学を行う。1週間のうち6日を終日勉強に費やすというハードスケジュールの中、日常生活の何もかもを全て自分でやらなければならないという状況に置かれたことで、行動力と決断力に磨きがかかった。


議員として

2003年 奈良県新庄町(当時)議会議員に立候補して初当選
2004年 新庄町議会副議長拝命
2005年 葛城市誕生に伴い、葛城市議会議員
2006年 まちづくり事業特別委員会委員長
2007年 行財政改革特別委員会委員長
2008年 都市産業常任委員会委員長
2009年 葛城市議会副議長
2011年 民政水道常任委員会委員長
2017年 葛城市議会議長


所属

●葛城市議会「青雲会」会派長
●葛城市更生保護女性会
●葛城市ボランティアふたば会
●国際ゾンタ奈良万葉ゾンタクラブ
●奈良政策研究会
●スローフード奈良